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▲ 内に秘めた激しさが 特徴の平敷屋エイサー
日本の音風景百選にも 選ばれている

平敷屋エイサーの由来
平敷屋エイサーの起源は古く、古老たちでも、あまり明らかではない。
昔から沖縄では、旧暦七月ー「お盆」になると、ある時間帯になると遠い祖父たちがやっていたとおり、人間がより素朴だった時代の心に立ちかえって踊ったのが、ウチナーエイサーのはじまりだったといわれている。

字平敷屋でも、旧七月十五日、先祖の霊を送り終ったころ、若者たちが村の神屋でエイサーを踊り、その後、集落内の道をねり歩きながら、目ぼしい家庭をまわり、無病息災と一家の繁栄を祈願するために歌と三味線で踊り、お酒をもらって、それを水でうすめて売り、ほかの経費などに充てていたと古老たちは語っている。

その後、明治三十七年(一九〇四年)六月ごろ、当時平敷屋の青年団長(いまの会長)であった兼堅助志さんが十八歳の時、沖縄県下で名護(世富慶)エイサーが一番評判がよいとのことで、当時の青年団の踊りの愛好者数人と共に名護に行き、名護エイサーを見てきた後、昔からの平敷屋エイサーに、名護エイサーのよいところを参考にして、太鼓(パーランクー)での踊り方、手踊りの踊り方等、研究を重ね、それぞれ振り付けて、いま県下で評判の高い伝統芸能の平敷屋エイサーが次つぎ後輩に引き継がれたといわれている。

ところが名護には、平敷屋エイサーのような踊りはいまはないという。しかし全然関係がないとはいえないものがある。
平敷屋のエイサーには戦前から東、西とも「名護人やてから裏座んかい」…との歌で踊られているところからすると、或いは名護からはエイサー歌だけ取り入れたのではないかという説もあり、また、それ以前に名護から来たという仏壇の漆塗り職人からおしえられたものが現在の平敷屋エイサーだといういろいろな説もあるが、徳山実さんが戦前の青年団長時代か戦後の区長時代かに書き残された備忘録には、名護エイサーと平敷屋エイサーは前述の通り、兼堅さんが深く係わっていたことが記述されている。
何れにしても平敷屋のエイサーは、古い伝統を持ち今日まで継承され、昔から平敷屋の三大行事の一つとして数えられているものである。


【平敷屋えいさーの由来】 【戦前のエイサー】 【戦後から現代へ】 【主な曲目・追記
伝統の担い手たち・旧盆とエイサー】 【エイサー保存会日本の音風景百選


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