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主なエイサー曲目
- 東西の主なエイサー曲目は次のとおり、
- @秋の踊り(道輪口説)
A七月節
B二合小(以上は東西共通)
Cユーイヤサー(東)
Dヒヤミカチ節(西)
E梅の香り(東)
F南嶽節、シューラー節(西)
G貫花、スラー節(東)
Hドンミカセー(西)
Iチェヒャーグァ節(東)
J祝い節(西)
以上の曲目は、平成六年八月二十八日(日)午後五時から勝連総合グラウンドで行われた「第七回かつれんまつり、青年エイサーの夕べ」から。当日の演技者数は東が七十人、西が六十人となっている。
追記
平敷屋エイサーのハントー(酒ガメ)担ぎ二人が、はじめてスルガーで作ったカンプーを頭に被って出場するようになったのは、昭和二年(一九二七年)頃で、当時の大里亀郎さんと真鶴賀那さんたちの青年時代からといわれている。
またハントー担ぎ二人が最初に出場して寸劇を演じてエイサー人衆を場内に招き入れる仕草をやるようになったのは、昭和九年(一九三四年)頃で、当時の名護昌永さんらの青年時代からはじめられたという。
なお、大正末期頃の一時期、西組に地謡(三線ひき)の人数が不足したため、東組から真鶴賀那さんと新垣蒲太さんらの応援を得てお互いに協力し合ったこともあったという。
(この頃真鶴武次さんの話しから)
□□九〇年の歴史を持つ
□□□□西の女性的な踊り
□□□□□□平敷屋青年会
ふるさとエイサー祭りに常連の平敷屋エイサーは、東西二組に分かれている。
今回は西のエイサーが初めて出場する。「東のエイサーは男性的な踊りで力強く、西のエイサーは女性的な踊りでしなやか」と言われている。
約九十年の歴史を持つ平敷屋エイサーは、二百年ほど昔から地元のエイサーと、一九〇四年(明治三十七年)に当時評判の高かった名護エイサーを取り入れた。紺地の衣装に素足で踊るパーランクー主体のエイサーは、長年受け継がれた伝統芸能の深さを感じさせる。
連日、深夜まで激しい練習の続く中、徳山利明会長は「地元の人やふるさと祭りの観客に喜んでもらえるよう元気よく気迫あふれる演技をしたい」と話した。
(この項第二十八回青年ふるさとエイサー祭り、踊い遊ば、出場チーム紹介、
平成四年八月二十一日沖縄タイムス)
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