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(二)失意時代と創作 閉ざされた社会の内のさまざまな矛盾と、そこに生きる人間の生の複雑さを突きつけられ、考えさせられた暗い大和の旅を終えて帰る彼を待つのは同じ矛盾の渦巻く暗い琉球の島であった。彼は村を統治する里之子になった。統治按司の長男は按司となるが、二代三代と下るに従い知行を滅じ、六代では四十石になり、次の代からは一村を領有する脇地頭になる規則であったから朝敏家も勝連間切の平敷屋村に下がったのである。脇地頭に下がったのは父の朝文が分家する時であった。この経済的変動が朝敏家没落のはじめであった。 出仕のかたわら、大和在番(琉球政治を監督する薩摩の長官)横目(監視役)、川西平左衛門の学殖も深かったと思われるが、人間形成に大きく影響する彼の学風を知る資料はない。テキストは源氏物語が中心であったという。 二十一歳の時、美里地頭の娘まなび(当時十九歳)と結婚した。 彼女は琉歌もよく詠み、美人であったが、家庭的で貞淑な女であったらしい。夫婦は仲がよく、朝良(長男)、朝助(次男)、一女(名は不明)が出来た。 家庭も落着き職務に精励し、将来を嘱望されていた彼に、不幸な事件が起った。それは尚敬王妃の思亀樽金が朝敏を慕い金城の家をひそかに訪ねて来ることであった。その時、王妃は絹の上下衣を朝敏に贈ったといわれる。白哲長身の美男子で又、「若草物語」や「苔の下」などに見られるように人情家でもあって多くの人に慕われたようだから、王妃が朝敏に人間的愛情をよせたのも無理はなかっただろうが、彼にはその気は無かったようだ。 しかし、そのことが世間の評判となり、尚敬王や三司官察温の知るところともなり、問題となったのでそれは王妃の一方的行為であることを釈明したが、許されず、そのため朝敏は金城村の家屋敷を没収され、職も辞めねばならなかった。余儀なく住みなれた金城村の家を立ちのき、首里の西森あたりに貧しい居を構え、後に那覇の天久(元水産高校裏側)あたりにも移ったという。 1 若草物語 人生苦に悩んでいた彼は、思わぬ濡衣を着て失脚したその憂いの深さは創作をかりて調和する外はなかったのであろう。この頃の作品と思われるのが「若草物語」と「苔の下」である。 短編小説「若草物語」は、大阪が舞台の悲恋物語である。貧乏武士の露之介は遊女若草を愛しているが岩蔵殿と呼ばれる某大名に落籍されてしまう。露之介はすきを見て若草を連出すが、途中で追手にからまれ、闘っているうちに若草を奪われてしまう。という筋書きの物語りである。 2 苔の下 次に書かれた短編小説「苔の下」は琉球に実在の歌人よし屋鶴(一六五〇〜一六六八、遊女)と仲里按司との悲しい恋物語を小説に書いたものである。よしや君と某按司とは相愛の仲であるが、黒雲殿が金を積んでよしや君を身請しようとするので、よしや君は悲しむ。某按司は貧しくて身請が出来ずこれを悲しんでいた。よしや君は悲しみのあまり一室に閉じ籠り、とうとう病気になり、こがれ死ぬ。よしや君が死んだ後、按司が訪ねると、つる君という女がこまごまと、よしや君の様子を語り、彼にあてた彼女の和歌といって按司に示したのは、 忘るなよ(1)むかしの人となりぬとも 袖ふれなれし軒のたちばな な(2)きあとにきて見ん人の快にも あはれをかけよ萩の枝の露 藤が枝も忘れじなその夕暮れに かけしことばの露(3)のなさけを きみとはばかたれ(4)いまはの夕まで つゆ忘れずと(5)萩のすすきも 註-1昔の人。2死んだ後に。3わずかばかりの。4臨終。5萩 もすすきも伝えて欲しい。 などであった。 3 貧家記 前述の通り、朝敏は王妃との疑いで職をとかれ、屋敷を追われたが脇地頭としての勝連問切平敷屋村の知行を失ったわけではなかった。しかし多くの使用人を抱えての生活は困難でとうとう調度類まで売る始末となったので、首里の生活を思い切り平敷屋村に行くことになった。それは亨保十二年(一七二七年)の頃と思われる。 平敷屋で書かれた随筆「貧家記」によると、彼の田舎落ちはいたく彼を落胆させたようである。 「道すがら景気おほかれど、目もつかずかただ帰る波のみうちながめられてうらやましくもとよみ給いけん業平の君のむかしぞおぼゆる」 と悲嘆にくれてゆくのである。こうして彼の夫意の生活が始まる。 朝敏がこうして約一年問、平敷屋村で真実な経験を通じて人間的に成長し、物の司(役人)となり首里に帰ることになったのは亨保十三年(一七二八年)尚敬王の十六年頃である。期待してなかっただけにその喜びは大きかった。王妃との関係が無実と分かったためであろう。 首里に帰ってからの役職はあきらかではないが、系譜によると「御座に上った」とあるから申口座(王家の儀礼、都市地区の統制治安に関する政務。公用の工芸、土木などに関する事務を司る)あたりの書記官にでもなったのであろう。 |
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【平敷屋朝敏と平敷屋】
【朝敏の愛人】 【村固めの強い平敷屋】
【貧家記紀行】
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