沖縄県 うるま市 勝連 平敷屋自治会
サイト内検索

Home > 歴史 > 平敷屋朝敏

 
貧家記紀行
                        大城清一
  はじめに
 平敷屋朝敏(一七〇〇〜一七三四)は十八世紀の初頭薩摩支配下の苦難な時代に士族という自らの身分におごることなく、農民を始めとした弱い立場の人々に暖かい眼差しを向けることの出来た沖縄近代史上唯一の和文学者で、今から二七〇余年前の尚敬十六年の頃に平敷屋村に脇地頭として勤めた折、水不足で悩む領民のために池を掘り、水不足の解消に努め、更に池から掘り出された土でタキノーを構築し、憩いの場として提供したことで昔から地域に親しまれた由緒ある地として知られている。
 彼の作品、「若草物語」「苔の下」「貧家記」「萬歳」「手水の縁」の中の「貧家記」が平敷屋村在居中の約一年にわたる生活記録を日記風に詠んだと言われる四〇首の和歌であり、当時の半島の貧民の生活状況や風物等が描写されている。その貧家記の全文を意訳しながら、遠い昔の私たちの先祖を偲んでみたい。

 わが家は貧しくなってきて、家具や身のまわりの物さえ、他人に譲って、今やもう田舎へ行くしかないものと、その支度に急ぎながらも、寂しく辛い気持ちになることが多い。
 師走(旧暦の十二月)のある日の夜明け方に、都(首里)を出て、小那覇(西原町)という所から舟で出発する。舟路には美しい景色も多かったが、目に映らず、呆然として過ぎ行く波だけを眺めていて、その昔、在原業平(平安時代の歌人)の歌が心に浮かぶ。舟人達は何の心配も無さそうに、話したり、笑ったり、歌を歌ったりしていた。あの白波と戯れている白い鳥は何という鳥ですかと問うと、「かもめ」とと答える。なんで都鳥と答えなかったかと、気になって物たりない。

 そうこうしているうちに、にわかに波が荒れてきて、舟も引っくり返らんばかりになり身内の者たちはおびえ、舟人たちも、慌てふためいている。おはらいをしてから、ちぶりの神にお祈りをささげると、しばらくしたら波は治まった。舟人たちも、願いが叶って喜んで漕いだので、午後六時ごろ目指す入江に舟を漕ぎ着けた。(そ
こが昔メーヌ浜と呼ばれた現在のホワイトビーチ付近と思われる。) 前もって、いろいろと頼んであった村人たちが、舟までお酒等を持って迎えてくれたことを、有り難く思った。波が荒れ、危うく命をおとす所だった。と言うと、手を打って喜び、それは慈悲深い仏神が、お助け下さったんですよと、お祝いの盃を互いに酌み交わした。こうして、村に登り、これからの住家となるところへたどり着いた。

 ※そこが集落の中心地でシリーヌお嶽の西側と伝承される。戦後地主が開墾した際、数々のカンザシ等が屋敷跡から出たことを調査の際に親戚から聞いたが現物を確認出来なかったことを甚だ残念に思う。
 屋敷囲いもない所に、小さな掘立小屋が、いかにもたよりなげに、ぽつんと、一つ建っている。このような一軒家に、さすがに、すだれ等はあるが、手荒くて、田舎びたものである。妻子等おおぜいの者が、足を伸ばして休めないほど狭くてみすぼらしいけれども我慢すれば何とか住めないこともないが、台所を別に造ったら少しばかり、くつろげるようになり、喜びを詠んだのが次の一首である。

 1 今日よりは ひざのべやすく いねつべし
     またこの他に 何を求めん

 (今日からは膝も容易に伸ばして寝起きが出来ようよ、それ以上の何をほしがろう。)

 思うに、立派な殿舎であっても、住む人のくつろぎのできる意味においては、同じである。年改って元日、まず都(首里)のことが思い出される。色々の音楽が宮中に響きわたるのも、まるで今、聞いているような感じがするし、国王様が赤いお召し物をっけて、王座におくっろぎのご様子でいらっしゃる御前に、王子や按司、親方、御殿入りを許された親雲上や里之子たち、果ては庶民に至るまでもが、それぞれの位に応じた服装で、拝賀する様子も見えるような気がする。

 正月三日、今日は国王様が三っの寺にお出かけになる日である。
位の上の方々の乗馬の鞍の飾りをはじめ、国王様が以下諸侯のお出立は固より、守衛の頭が持っている赤いしもまで、目に浮かぶ。
 池上院の前の、松原などに、国王様のお出かけを一目でも拝もうと、大勢の人が集っている有り様も見えるような感じがする。

 正月七日今日も、都(首里一で行われるいろいろな行事が思いやられて懐かしい、正月十五日にも、同じく思いやられる。すべて折りにふれ、何かにっけてひたすら、都が恋しく田舎は苦しく淋しいので、何とかしてこの辛さを忘れようと、野辺に出て遊ぶ。草が若々しく芽を吹き、かすみがかってどことなく春らしい風情があって、明るく楽しい気持ちになっているところへ、田舎娘達がやって来て、すみれや、っくしなど摘んでいる風景は情緒をさそい、自分も摘む気になって、そこで一首。
 2 春はただ 摘むやすみれの花がたみ
     目慣れぬ人も 袖をまじえて

 (春はただ無心にすみれを摘むにかぎるよ、見知らぬ人とも袖をまじえながら)

 海の方に目をやれば、まさしくこれそれが入江なのだと言わんばかりに波静かで舟が多く浮かんでいる。そこで一首。一この歌はタキノー辺りから眺めた情景を詠んだと思われる。
 3 春のきて 波静かなる海辺には
     一葉の上も あやう気はなし

 (春が来て 波の静かな海辺では、たとい木の葉舟に乗っても危ない事はあるまい)

 こうして、物淋しく辛い日時は野原に出たり、海辺に行ったりして、沈みがちな心を引き立てていた。中でも特に あすなという所である。そこで一首。
 ※あすな、とはアシナ浜のことで昔は集落からアシナ浜に行く道はナカミチ一陣那原一から源河原一海上自衛隊本部の隊舎裏の尾根伝いに琉球松の並木が岬までつづいた。一の松の下の小道を通る道のりであった。朝敏はアシナ浜に美しく散在する無数の小島に魅力を感じながら帰り道に与那原方向から源河原の松並木に入り日が射し込む情景を詠んだものと想定できる。

 4 入り日さす 松原近く満つ潮を
     あすなが崎の 明日も来て見む

 (西日が差し、松原近くにまで潮が満ちる、そんなアシナ崎に明日も来たいものだ)
※この歌は勝連城趾の下の西側の海浜付近に浜崎寺があり、その一帯を浜崎と呼んでいることから南風原浜屋近くの白浜で詠んだものと思われる。

 5 浜崎や 群れいて遊ぶ白鷺の
     色もひとっに 清き真砂地

(白鷺の群れて遊ぶ浜崎は色の見分けもっかぬほどに 砂浜が美しい。)

 その頃、あけぼのの雲を眺めて一首。
 6 この頃の おぼろ月夜の あけぼのに
     何処の誰か 心なからむ

 (この頃のおぼろ月夜の曙にどこの誰が何の感慨もなくいられようか。)

 友人たちが、野遊びして、わらびなどを折って帰って来たので、これは見事なものだ、吸い物にすればいいだろうなと、感謝の気持ちを込めながらたわむれに次の二首。
 7 かさしくる 花にもまさる つとやこれ
     折めっらしく 折れるさわらび

 (誇らかに頭にかざして来た花よりも、っとにくるまれた折れたわらびの方がよい。)

 8 つま木とる 片山里のし、づの女も 春は
     桜の 花か、づらして

 (薪をとる片田舎の女たちでも春になると桜の花で髪をかざって実に素晴らしい。)
写真下の解説
勝連字平敷屋のホワイト・ビーチを見おろす小高い丘、タキノー公園に建てら
れている大きな美しい安山岩に刻まれている平敷屋朝敏の歌。
貧家記の一首。

 すると、何も、薪までは折ってないのに、よくまあ、おっしゃいますことよ、と笑う者もいた。その頃のこと、夜の雨がもの静かに降っていて、家族の者は寝てしまい、ひとり、枕を高くして雨音を
聞いていると、次から次へと頭に浮かんできてきりがない。

 9 糸竹も 軒のしずくにききこめて
     心すむ夜の 雨の手まくら

 (琴、笛の音色を軒の雫に聴こうとして、手枕に寝る夜、雨音に心が澄んで行く。)

 壁に埋もれたような、自分のような者でさえ、このように心が澄んでさえ、物のあわれを覚えるのだから、かの昔盧山のふもとに流された唐の詩人はどのような気持ちで聞いたのであろうか、同じ頃ある人から、「春の鳥」について歌を詠んで贈ってくれと言ってきたので、その時詠んだ歌、一首。
  かしこしな 都の春に名を遂げて
     みしりぬる 谷のうぐいす

 (谷間の鴬は何と賢いだろう都の春にその名の知れた頃にはもう身を退いている。)

四月八日になった。早いものだ都一首里一では、今日は円覚寺や四天王寺等の潅仏会を見ようと話しあっていると、それを聞いていたらしい十歳ぐらいの女の子が、唐いもという物で小さい仏を作って、「これはお釈迦様よ、拝んでちょうだい、さあ、甘茶を注ぎますよ。」と言って、水をかけているのを、冗談ながら気のきいたことをやっていると思って見ていると、今度は、九歳位の男の子が
「それはお釈迦様と一言うよりも赤んぼうではないか」と言い、皆で思わず笑ってしまった。ある人が軽い気持ちで一首。
 11 法の師の 遠つ親とも思えず
     ただいわけなき みどり子なれば

 (法師様の崇め親のお仏様とも知らずに、幼い子たちはただ他意もなく遊んでいる。)

 その頃、よそのお家で色々の料理やお酒などを御馳走になりながら、みごとに熟れた、真赤で清らかな、毒をだしてくれた。すると同席の人々が、召しあがる前にこのいちごにっいて、ぜひ一首お願いと言ったので、このひま人が詠んだ歌。
 12 紅の 濃染めの梅の 花と見て
     さながらただや もて遊ばまし

 (紅に濃く染められた、梅の花と見て、ただそのままに眺めているだけにしよう。)

 彼等は、私が汚なさそうに、やせているのに、都(首里)に住んでいたということで、こちらの人々は、この人を重んじている。だからこそこんなつまらない歌を詠んで居座っているのである。
 ※この歌から士族である朝敏が地域の農民と親しくしているのが伺える。

 五月四日になった今日は、首里では、はりゅうせんの舟競を見ようと、身分の上下を問わず、みな那覇へくだることであろうよ。「もしも都一首里一にいたら私たちも見にいっただろうに。」と、子
供たちは、いかにも残念そうであった。なるほど、幼い子供達の見物として、舟くらべに勝るものはあるまい、と気の毒におもったので絵を書いて与えてやった。秋の山問の田んぼで、雁が餌をあさっている絵をかいて、そこにかきつけておいたのが、次の一首である。
 13 数ならぬ われをたのもの 雁の子の
     よをわびしさに 鳴くぞ悲しき

 (何もしてあげられない私に、頼りたいのか雁の子よ、世のわびしさに鳴いている姿がいたましい。)

 五月五日、今日はあやめの節句だというのに、あやめはない。
 14 今日といえど あやめなければ 玉の緒の
     ながき願いを 何にかけまし

 (今日は男の子の節句だというのに、肝心なあやめ草がなければ、長く丈夫でありたのだが、何にかけて祈ろうか。)

 それでも、何とかして、手にいれたいと、人に頼んで探してもらったが、まこもというものを持って来た。
 15 求めざる あやめの草は さもあらで
     あらぬまこもぞ ひかれきにける

 (頼んであやめをもってきてくれたが、実はあやめではなくて、代わりに、ひっこ抜かれているよ、気の毒に。)

 ちょうどその頃、螢を見て詠んだ。
 16 数ならぬ 身をもいとはで 袖近く
     駐れ来る螢 哀れならずや

 (取るに足りない身であるこの私の、袖近くまで飛んで来るほたるよ、かわいさを覚える。)

 水無月(六月)の頃、ものすごく暑かったある日、農夫の働く姿を見て詠んだ。
 17 哀れその 畑打ち返す 背中より
     流るる汗や 瀧つ白波

 (この暑さのなかで、働いている農夫の背中から、滝のように汗が流れ落ちる姿が気の毒である。一)

 ただ今、この暑さの中で、私がもし彼であったなら、どんなに苦しかったであろう。自分も貧しいけれども、彼の農夫に比べると、安楽な身分でまだ幸せである。
 ※この歌は朝敏が、働く農民に労りの心が伺えることから平敷屋タキノーの歌碑に選定されたものであり、永くその遺徳を偲び後世に残したい。

 話はかわって、自分の手で植えた、夕顔の花が咲いているのを見て、
 18 わび人の 植えも花はよろこびの
     まゆをひらくる 軒の夕がほ

 (どんな人が植えても花は分けへだてなく、自ら喜びの笑顔を見せてくれるものだ。この軒の夕顔のように。)
 と詠んで眺めていると、ちょうどそこへある人が訪ねてきて言うには、「この花は、そのように咲いたことのない花だが、いつ頃から花いじりをはじめたんですか。」とたずねたので、その返事に詠んだのは、
 19 むぼに ほの見しよりや夕顔の
     花に数そう 露のことのは

 (道端の夕顔を、わずかにゆうがおの花を見て以来、露のようにはかない夕顔の歌を詠み重ねている。)

 その頃、せみが一日中鳴いているのを聞いて、 
20 むなしきを 心ともせぬおろかさの
     たぐひに世をや うつせみの声

 (鳴いていることの、はかなさに気付かずに、ばかみたいに、空しく蝉が終日鳴いているよ。)

 秋のはじめの頃、一首
 21 音変はる 萩の葉風におどろきぬ
     今年も半ば 夢にすごして

 (さとうきびの葉をよぎる風の音が、これまでと違うのに驚いた今年も、もう半ばを、夢のように過ごしてしまった。)

 七月七日一七夕の日一に詠む、
 22 年毎に 相見ても猶 かささぎの
     渡すひと夜や 夢の浮橋

 (織姫と彦星が、年に一度は七夕に会うのだが、むささび達が羽を連ねて作った橋はやはり一夜かぎりの、はかない浮橋にすぎない。)

 お盆一七月十五日一の日には、亡くなった父の御霊を供養する行事を行うが準備かれこれと何にっけても都一首里一にいたなら、と思うことが多い。まして、八月十五夜のことについては、懐かしく思いやられることが多い。
 23 あらたよの 月を袖にぞ 曇らする
     都しのばぬ心ともかな

 (せっかくの十五夜の名月なのに、懐郷の涙にむせび、おもいきり鑑賞できない)

 十五夜の月の風情に誘われて、勝連の古城を訪ねた。古城は一面荒れ果てて、秋の虫の鳴き声だけが聞こえ、寒々と夜露にぬれているのを感じさせる。かつては、繁栄した頃のこの城は名月の夜には、黄金珠玉を連ねて飾りたて、美女達が、琴や笛を奏でて、どれほど愉快であったかと思うと、夢のように栄枯の哀れを思い浮かべ、物凄い松風のおとずれを聞いて詠んだ一首。
 24 いにしへを 忍ぶる琴の音にたてて
     哀れも深き 夜の松風

 (遠い昔を偲ばせるかのように、松に吹く風は琴の音のように、深く哀れを誘う。)

 そこから帰る道中で一首。
 25 更くる夜の 月の下萩 そよさらに
     さびしくすめる 秋風のこえ

 (月夜の夜更けに村里を通ったら、家々はすっかり寝静まって、屋敷かこいの竹の葉をわたる風の音だけが淋しく聞こえる。)

 西原の村さとを歩いていると、村人は既に寝静まっていた。
 ※与那城町字而原のこと、現在の中道路が旧道で朝敏は寝静まった夜道を通った折りに詠んだのでしょう。
 26 月更くる 里をわたれば 竹の葉に
     風のもの言う こえばかりして

 (月の更け行く、村さとを歩いていると竹の葉末に吹く風の音だけが聞こえる。)

 その頃は、たずねて来る人は絶えて、淋しい日々を送っていると、ある人から、そこへ 「いかがお過ごしですか、誰か訪問客はあるか」と言ってよこしたので、その返事に詠む
 27 柴の戸や軒端になびく 荻の葉に
     風の情を 聞くばかりにて

 (柴で作った戸や軒先になびく荻一さとうきび一の葉に、吹く風の思いやりが、頼りに聞こえるだけで、人は無情で誰もきてくれないよ。)

 物寂しい夕暮れにある人のもとへ。
 28 思いやれ 憂き身の聞けばいっとても
     秋のひびきの あきの夕暮れ

 (思ってみてくれ、佳びしい生活をしている身にとっては、秋の夕風はいつも晩秋の物寂しい響きをしているよ。)

 九月九日菊の節句の日、都(首里)に居る人へ出した便りにつけ加えて、次の歌を一」述った。
 29 あまさかる ひなのまがきに独り摘む
     菊の色香も 無き心して

 (この田舎の垣根で、独り淋しく摘んでいる菊は、色も香りも無いような気がする。)

 30 今日ぞとて 菊を浮かぶる さか、づきも
     夜なき人は くまぬまされり

 (今日こそはと、盃に浮かべて乾杯しようとしても、側に友のない独りでは、どうも飲む気になれない。)

 その頃、内間という村を通ってみたところ、荒れて既に原野となってしまった屋敷がひとつ目についた。誰かが仮住いとした跡だろうと、心うたれてしみじみと見入る。ふと、一本の松に気付いた。高くて枝ぶりがよく、こんもりと繁っているのを何となく、どこかで見覚えのある所だと、よくよく思いめぐらして見ると、今住んでいる平敷屋村に以前、しばらく都(首里一を離れて滞在した折り、好意を抱いて言葉をかわしてくれた女、もうその女は死んでしまったけれど、その人が住んでいた家であったのだ。その頃のことが、あれこれと強く思い出された、しばらく眺めてから一首詠む。

 ※内問の里とは勝連字内間のことである。この歌のルーツを調べるために字内問の字史に詳しい長老の東門松永先生のお宅を訪問し、先生にご教示を仰いだところ、内問の集落は現在地に移り住んでから、二〇〇余年しか経ってない。従って平敷屋朝敏の時代の一七二七年頃の内問は現在の与那城三父路一昔はクンワカシーと呼ぱれた一の西側付近で、次の一首はその辺りの山集落で詠まれた歌でしょう、と教えて頂いた。
 31 古里や 一木の松の それひとつ
     昔ながらの おもかげにして

 (かつての恋人の住まいに来てみると、一本の松の木だけが、昔に変わらぬ様子を伝える古里よ。)

すすきの花が、秋の風になびいている姿にも痛ましく覚えて詠む。
 32 むかし見し 妹が垣根を 過ぎ行けば
     まねく尾花の 袖のなつかし

 (昔心を通わした女の仮宿に、垣根を越えて足を踏み入れれぱ、風にゆれる尾花は、彼女が招いているようで、なつかしい。)

 ちょうどその頃、鶴という遊女が、その内問村に宿を借りて住んでいて、何の語らいさえしたこともないのに、世問では何かあるかのようにうわさがあったようで、心苦しく思い困っていることを聞
いたので、その遊女のもとへ、次ぎの歌を託した。
 33 懐かしき 君ゆえ着たる ぬれ衣は
     なかなかほさん こどぞおしけき

 (いとしい貴方故に、起こる噂の濡れ衣を干す。つまり誤解を解こうとすることこそが、私にとって惜しいことです。)

 遊女一ツル一が生まれ故郷へ帰ると聞いて、再び託した。
 34 行く人の 袖の上にも かけて見よ
     とまる涙の 露の哀れを

  (去って行く人の袖の上にもかけたいものよ、はかなくみじめな残される者の涙を)

 その後更にこと、づけて次の歌を送った。
 35 如何なれや 夢ばかりなる手枕に
     かはさぬ仲の 忘れ難きは

  (どうしてなのだろう、夢を見るだけで手枕さえ交わすことのなかったあなたとの仲が、こんなにも忘れがたいというのは。)

 神無月一十月一の初旬頃、雨風の寒い夕暮れに次の一首。
 36 今よりの 夜寒をいかがしのぐべき
     破れふすまの うらめしのみや

 (これから後夜の寒さをどうしてしのいでゆこうか、この晴けない身の上は家のふすまも、とうに破れて、恨めしいことだ。)

 その頃、海辺の時雨を詠んだ歌。
 37 風を荒み 舟の行き来は絶ゆる日に
     時雨と渡る 沖つ島山

 (強風に海は荒れ、舟の行き来も絶えた日に、時雨はこちらから沖の島に、海を渡って行ったよ。)

 つきまさの宿屋であられを見て詠む。
 38 久方の 天つ乙女のかさしより
     みだれておつる 玉あられかも

 (天上から落ちてきた、玉のようなあられは、乙女のかんざしから乱れ落ちてきたかのような、何と美しいあられであることよ。)

 同じ時、山路に積もる雪を思い浮かべて詠む。
 39 匂いなき花を薪木に祈り添えて
     影見ぬ月に 帰る山人

 (においのない花一雪のこと一を、薪に祈り添えて月影もない寒い闇に、家路を急ぐ山人よ。)

師走一旧暦十二月一の十三日、国王の配意をいただき、お城づとめの役人になって、都一首里一へ上る道中に、別れを惜しんでくれた彼女のもとへ、次の歌を贈った。
 40 時を得て かえす錦の袖なれば
    うれしきのみを つつむとや思ふ

 (幸運を得て、錦を飾って首里に帰るのだから、その私の着物の袖には、ただ嬉しさのみを包むのではなく、別れの悲しみも包んで帰るのです。)

一完一

生い立ち】 【失意時代と創作】 【革命時代】 【里之子墓】 【平敷屋朝敏と平敷屋
朝敏の愛人】 【村固めの強い平敷屋】 【貧家記紀行】


<<BACK

| Home | 地理・自然 |文化・芸能 | 歴史 |産業 | Mail |

平敷屋公民館 主催 :平敷屋自治会
沖縄県 うるま市 勝連 平敷屋4068 〒904-2314
□ Copyright © 2000 Okinawa-Johokyoku All Rights Reserved.
□ □当サイト内のすべての内容につきまして 無断転載を固くお断りいたします。