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| 照喜名家紋章 |
| 元祖:蕭阮瑞仲地名礼 |
照喜名家は、中国の陶工・渡嘉敷三良(トカシキサンラー)の子孫である。
中国から琉球へ、漂着した三良(サンラー)は、そのまま国場村へ住みついた。その頃の琉球の家屋は、茅ぶき屋根でたびたび火災にあった。瓦を焼く技法は、まだ世に広まっていなかった。三良(サンラー)の瓦焼の技術は、子孫たちへと受け継がれた。ある時、国殿(首里城正殿)が、火災にあった。この時、国殿と寺院等を瓦で葺くことを願い出て瓦に改められた。世の中に、「瓦焼の普及」の功績があって士分に取り立てられた。六代孫の兄弟三人がそれぞれに一世となり、長男「照喜名家」 次男「安次嶺(あしみね)家」 三男「安次嶺家」を創設した。 |
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| 当銘家紋章 |
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かつて、当銘家の屋敷は、首里汀志良次(しゅりてしらじ)村にあった。廃藩後に那覇に下り、戦前、本家の跡取が絶えて、現在は、首里とのつながりは、その地に残った、分家によって維持されている。多くの士族がそうであったように、士族の増加によって策定された「屋取(やーどぅい)政策」さらに、「廃藩」という時代の大きな流れになすすべもなく、各地に離散してしまった。同門中の子孫たちは、それぞれの土地で新たな一族史を歩み現在にいたっている。首里から各方面へ、離散して100年の歳月が経つが、子孫達の門中に対する執着は、薄らぐどころか、依然として根強い。
首里と那覇に「当銘」「長嶺」「上江洲」「真境名」糸満市に「野原」「内間」「長嶺」「上江洲」具志川市に「当銘」「長嶺」久志に「当銘」など各家の子孫が定住している。 |
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| 知花家紋章 |
| 元祖:知花親方朝康 |
向姓旧首里士族小宗
当主 知花 朝敏
同家は尚質王の五男、尚比弘徳東風平王子朝春が興した、勝連御殿の四世勝連按司朝宣の次男、知花親方朝康が始祖である。同家の分家姓も同じく知花の姓を称し、子孫男子の名乗頭は朝である。 |
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| 渡久山家紋章 |
| 元祖:渡久山親雲上朝意 |
向姓旧首里士族小宗
当主 渡久山 朝章
同家は小緑御殿からの分家筋に当る家で、元祖尚維衝十世尚十四人もの三司官を拝出した名門である。渡久山家、の分家姓は同じく渡久山で、名乗頭は朝である。 |
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| 豊見城御殿紋章 |
| 元祖:豊見城王子朝良 |
向姓旧首里士族大宗
当主 豊見城 真
豊見城御殿は第二尚氏十一代目、尚貞王の次男、尚経、豊見城王子朝良が創設した王子家である。豊見城御殿の分家姓には豊見城、当銘、多嘉良、我那覇、田里などの姓があり、名乗頭は朝である。 |
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| 玉川御殿紋章 |
| 元祖:読谷山王子朝苗 |
向姓旧首里士族大宗
祭祀者 仲里 朝豪
玉川御殿の同門の分家姓には、玉川、識名、松田、源河などの姓があり、同門子孫男子の名乗頭は、朝である。 |
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| 高倉家紋章 |
| 元祖:北谷王子朝理 |
| 石持ち地抜き四方爪に鱗付き隅立て角内に一つ引き |
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| 北谷家紋章 |
| 元祖:北谷王子朝理 |
| 石持ち地抜き四方瓜に隅立て桝 |
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| 高峰家紋章 |
| 元祖:】大嶺(おおみね)親雲上(ぺーちん)安憲(あんけん)三世瑞麟(ずいりん) |
| 左一つ巴 |
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