パラダイス通りは国際通りの裏道のひとつです。ファッションや雑貨、カフェを中心に30軒以上のお店が立ち並んでいて、最先端の文化の中心地として若者に人気があります。このパラダイス通り、なんと50年以上の歴史があり、沖縄の昔と今を知ることができます。国際通りで民芸品やお土産を堪能したあとは、裏道に一歩足を踏み入れてみませんか?
戦後、今のパラダイス通りのちょうど真ん中あたりに「ニューパラダイス」という名前のダンスホールがありました。若者を中心に日本人もアメリカ人も誰もが踊れる社交場として大流行し、「ニューパラダイス」に集まる人々が店の前の狭い通りのことを自然と「ニューパラダイス通り」と呼ぶようになったのです。この「ニューパラダイス通り」が時代の流れとともに短くなって「パラダイス通り」と呼ばれるようになりました。
お話と資料提供: ニューパラダイスオーナー伊藝教永さん・米子さんご夫妻 (現在はパラダイス通りでエーワンパーキングをご経営) 「戦争が終わって地主がいなくなってしまったこの辺りには、沢山の人々が勝手に住みついていたんです。そこで那覇市が区画整理を行い、ひとり30坪づつ土地を割り当てました。私たち兄弟は5人で150坪をもらい、そこに当時船員だった兄が廃材を集めてレストランを造ったのです。それが最初の「ニューパラダイス(写真)」でした。 店の裏手には米軍の施設があり、よくアメリカ兵が店に来てレコードを流すようになりました。今思えば、その頃から「ニューパラダイス」には音楽を求めて若者が集まっていたんですね。その後、昭和28年に私が兄から経営を引き継いだときには、その当時私がダンスを習っていたこともあり、レストランからダンスホールに変えたのです。あの頃はダンスホールではなくて「ダンス教習所」と呼んでいたのですが、「ニューパラダイス」の成功に続いてこの辺りには30軒近いダンス教習所がありました。 ところがダンス教習所は行政上、風俗営業とされていて、公園地域に指定されているこの界隈では営業を続けるのが難しくなっていったのです。もともと30坪づつ割り当てられた窮屈な区域だったので、これ以上事業を拡大することもできず、昭和58年に「ニューパラダイス」は30年の歴史に幕を下ろしたのです。ところが「パラダイス通り」という呼び名はその後さらに30年近く経つ今でも皆さんに使用されているようで嬉しいすね。」
「パラダイス通り」という名前が正式名称ではないということがわかりましたが、それではこの通りには本当の名前はないのでしょうか?伊藝さんのお話によると、かつて通称「パラダイス通り」にも正式な名前があったそうです。那覇市はこの通りを「新成(しんせい)通り」と名付けたのですが、その後も住民の人たちは馴染みのある「パラダイス通り」の名で呼びつづけたため、自然とこの名前は消えていってしまったということです。このことを那覇市役所に問い合わせたところ、古い記録が残っていないため「新成通り」についてはわからないけれど、現在は「牧志・前島線」が正式名称ということでした。 時代は移り変わっても「パラダイス通り」の名前で愛されつづけてきたこの通りは、沖縄の昔と今を知ることができる人々の拠り所です。昔も今も音楽が流れ、最先端の若者の文化やファッションが溢れるパラダイス通りをのんびり散歩してみませんか?